~不幸は知恵を生むが、幸せは思考を麻痺させる~
LAATが終わり、しばらくストップしていた本を読む生活に戻りかけた途端に、出くわした言葉。
以前なら疑問を持つまでもなかっただろうが、引っかかった。
”藤井風”を推していることで得る多幸感、これはいったいいつまで続く?
麻痺した思考はそれからどうなるんだろう?
何か外的要因によって打ちのめされる時が来るんだろうか?
自分が見ている景色は自分が作り出したもの、すべては自分次第だと風さんは言った。
人の目を借りて物を見ることはできないのだから、自分が見たい景色に向かって努力するしかないということ。
イヤなものが見えているときは、自分の考えが卑しい時だ。
人を嫌いになったり愚痴を言ったりするときは、対象を鏡だと気づかなくてはいけない。
結果として見えるものは、他人のせいなんかではなく、すべて自分の心や行いの産物なのだと。
図らずも大賞の受賞コメントでこんなふうに話したということは、今まで彼が相当の努力を重ねてきたということだ。
そりゃそうだろう、あんなに素晴らしい作品たちが、ぽこっと出てくるわけはない。
自分を愛し讃えることも怠らない強さに気づいた。
聴いて喜んでいるだけの私には想像できないほどの苦労があっただろう。
そう思うとLASAのジャケットをなでなでヨシヨシしてあげたくなる。
幸せから学ぶこともたくさんある。