神仏の策略

私が何故こんなにも”藤井風”に沼っているか、先のインタビューを読んでいて気がついたことがある。

自分とは全く異なるバックグラウンドを持つ藤井風さんが、共感の対象になるのが自分でも不思議だった。

 

あのインタビュー記事には、風さんの迷いや欲望のような煩悩が垣間見れる。

昨日このブログに書いたような風さんの信念・テーマの裏にある苦悩だ。

 

”自分が本当に格好いいと思えるものをシェアしていっていいんだという自信~”

”本当は自分が結果とか目に見えるものにこだわる人間だから~”

理想と現実の間で苦悩する姿は、これまでも曲の中でも表現されてきたけど、あまりにもカッコいいから、それさえ美化されてしまいがちだ。

 

だから、カッコよく見えないようにしてるでしょ?

スタッフや仲間とカメラの前に立つ時わざと姿勢を崩して自分を大きく見せないようにしてること、投稿動画にはオチをつけて笑いをとろうとすること~

”いかに力を抜いて、聴く人の耳に余計なストレスを与えないか、いかに自分がリラックスして、脱力したムードを聴く人に伝えることができるかどうか~” を大事にしてること。

 

バキバキの「どうよ!」ってなパフォーマンスは苦手だね。

称賛は浴びるかもしれないけど距離ができるようなこと、したくないんじゃないかな。

スターであることより、お父様の教えの通り、人気者でありたいんじゃないかと。

 

本当はとってもシャイでビビリで甘えん坊で、周囲の反応を気にしているんだと思う。

それは、”大事なメッセージを伝えたいという思い”が強いからこそだよね。

 

これはもう、風さんチーム風の思惑というよりも、風さんのお父様お母様、はたまた神仏の策略としか思えない。

それに、見事にハマったのが私です。

 

〈個人の見解です。本日、”調子のっちゃって”長文のため、英訳は諦めます。〉