藤井風さんの世界観に極めて近い見識に出会ったので記してみる。
小野龍光さん、去年出家してインドで坊さんになったという方の出ている動画を観た。
前世(出家前のこと)では、ITビジネスの申し子ともいうべき、あるIT企業のCEOを務めていた方である。
人間の幸せを考えたとき、お金や数字のように無限にきりがないものを追い求めることに疑問を感じ、他の何とも比較の対象にならないものとしての自分の心と向き合うようになった、というような話だった。
(”何なんw” ”もうええわ” ”キリがないから”~)
潔く剃髪して引き締まったその姿は、聖なるものを感じさせるだけの説得力がある。
それでも、煩悩と悟りの間を揺れ動く修行の身らしく、ユーモアも忘れない。
一杯の水を飲みたいと寒い中をずっと歩いてきて、温かいコンビニに入った途端アイスが食べたくなったりすると。
(”罪の香り” ”何なんw” ”調子のっちゃって”~)
自分が世の中のために何にもなってない、生きる価値があるのかと悩める人からの相談には、生物は所詮、呼吸して食して排泄を繰り返すものに過ぎない、生きているだけで二酸化炭素を排出し、それが他の生物の糧になっている、だから全体の一部を構成するパーツとして十分機能している、というようなことも言っていた。
(”damn” ”ガーデン” ”ロンリーラプソディ” ”grace”~)
ただ、目の前に一人分の食べ物があるとき、それを、自分より必要としている人がいるのではないかという想像力が、紛争や災難から誰かを救い、巡り巡って自分も救われると信ずるのだとも。
(”風よ” “優しさ” ”ガーデン” ”the sun and the moon”~)
自分はどのように幸せを感じることができるか。
人との比較は苦悩の根源であり、見るべきものは自分の心だと。
(”特にない” ”まつり” ”へでもねーよ” ”死ぬのがいいわ” ”やば。”~)
いかがだろう? I'm going too spiritual for you?