こんなに一所懸命わが推し、”藤井風”についてのブログを書くのは、自分と向き合う必要があるからだが、誰かに読んでもらいたいというのも素直な気持ちだ。
承認欲求。
アクセス数が気になってしかたない。
就活の時、利益を追求するような企業活動に加担する現実味がどうしても湧かず、それから逃げる方法を探してたような気がする。
だから、価値を生み出すようなクリエイティブな仕事か、情報を分析するシンクタンクのようなフラットな職場にあこがれていた。
でも結局、民間企業のそれらは数字を追いかけるための下部組織に過ぎないと気づき、また別の逃げ道を選んだ私は、人生で最初の痛い目に遇う。
世の中の常識から逃げ続けたということは、私の本心は、非常識なところにあったということだ。
いや、非常識だというのは他人の目から見た評価で、私自身はずっと私だった。
世間の価値観とズレた思い(周囲と合わせたり比較したりする必要のないオリジンのままで価値を生み出したいということ)がずっと私の中にあって、折り合いを付けられないまま、飲み込まれてきたのだ。
気が付けば、社会の端っこで、誰よりも数字を気にしてる。
お金や数字にとらわれず、自分の価値観最優先で生きていきたかったはずなのに。
いまさら人と比べて、何焦ったり欲張ったりしてるんだ?
人と同じ物差し使ってるからいつまでも満足できないんだ。
私には私だけの指針があるじゃないか、私の悦びは私のものだ。
その悦びは、いくら人に分け与えても減ることのない、むしろ倍増するような有機的なもので、すくなくとも、誰も傷つけたりしない。
このブログを書き始めなかったら、気づけなかったことだ。
藤井風さん、ありがとう。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとう。