新茶の季節に風さんを思う

新茶をぬるめに入れて、香りを楽しみながら、鮮やかな緑が白い磁器に映えるのを目に焼き付ける。

器をゆっくり回しながら口まで運ぶと、香りはさらに引き立ち、新茶のうまみを余すところなく味わえる。

 

そんな季節のはずだが、寒い。

セールで手に入れた冬物の上着が役立っている。

茶農家の方は遅霜の被害を心配してるんじゃないだろうか?

 

日本では、季節感がとにかくモノを言う。

これだけはっきりと四季が入れ替わる風土で暮らしていると、無視できない要素であることは間違いない。

だから、日本人は季節ごとの行事が好きだし、それが経済の牽引役になっていることも多いだろう。

 

ところが、風さんの歌はすべて、季節の移ろいをその情緒的な要素よりも時間経過的な観念で表現されている。

それは、藤井風さんが、生来コスモポリタンである証拠のひとつだ。

この世に生まれてから20年間余りを、日本の地方の小さな町だけで過ごしたという彼が、この普遍的な観念をそなえていることに驚嘆する。

 

日本的情緒には、世界から見ても大きな魅力と価値があるんじゃないかと、日本人ながら思うけれども、風さんは、そこをあえて見ていない。

初めから世界に、宇宙に目が向いているのだ。

絶対、宇宙と交信してる。

 

そして、JVKEとの"golden hour"リミックスで、アウトロがブチっと切れたように終わるところにも、その片鱗が現われているような気がする。(これを言いたかった)

 

日本人以外になれそうもない私は、酒もコーヒーもやらない藤井風さんに、この季節ならではの日本の緑茶を呑んでもらいたいな。